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吉田美香さんの囲碁観戦記は読み物

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囲碁のことは全くわからないし、吉田美香さんのこともよく知らない。しかし、吉田美香さんの書く囲碁の観戦記が大好きだ。

一般的な観戦記は専門用語がひしめいていて、まるで暗号文かのような印象を受ける。限られた紙幅に、対局の見所をぎゅっとまとめているわけだから、専門性を盛り込んだ最短の文章が効率的だ。そのため自ずと「わかる人だけがわかる」文体に落ち着かざるを得ないのだろう。

しかし吉田美香さんの観戦記はというと、一般的なものとは明らかに一線を画している。囲碁を知らなくても内容が頭に入ってくる。囲碁なんてまったく勉強したつもりがないのに、スラスラと読めてしまう。まるでスピードラーニングだ。

どうして読みやすいのかというと、吉田美香さんの観戦記には、囲碁の指し手とは無関係の成分が多分に含まれているせいである。わたしの知る限り、これほど砕けた観戦記は他に例を見ない。これが吉田美香さんの観戦記に惹きつけられる理由だ。

まずここで、わたしが「吉田美香」という人物の存在を知った馴れ初めともいえる観戦記を紹介しよう。

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志田の雰囲気が以前と少し違う。対局中の苦しげな表情がぐっと減った。形成に関係なく、世界の苦しみや悲しみを一身に受けているかのような悲壮感を漂わせていたが、それがない。何か心境の変化があったのか、彼女でもできたか?おっと、こんな軽率な一言は迷惑きわまりないか。 

のっけから囲碁のことが書かれていない。碁盤に向かう棋士の表情をじっくりと観察して描き出したかと思うと、「彼女でもできたか?おっと」である。軽い、カジュアルだ。いったい何なんだ、この観戦記は!

衝撃を受けたわたしは急いで文末に目を遣った。書き手の名前は「吉田美香」だった。

また後日、新聞を眺めていると目に留まる観戦記があった。

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井山が1手目を打ち下ろすと、まぶしくフラッシュの雨が降り注いだ。井山に静かで深い気合が見て取れる。髪のウエーブが決まってる。いい感じで充実した碁が打てそうだ。

「髪のウエーブが決まってる。」

強い。もはやこの観戦記のテーマが見事この強い一文に集約されてしまって、他の内容がまったく目に入ってこない。何をしてくれるのか。

と思った刹那、先に挙げた「彼女でもできたか?おっと」の一節を思い出した。ハッとして文末に目をやると、やはり「吉田美香」の名がそこにあった。

観戦記に日常の言葉を堂々と放り込む斬新さ、門外漢ながら「いいんですか?これで?」と思わせる背徳感。これが他の書き手とは一線を画す、吉田美香さん独特の世界観だと思っている。

そんな吉田美香ワールドにハマって以来、囲碁の観戦記には必ず目を通すようになった。書き手が吉田美香さんのときには冒頭から文末までしっかり読ませてもらっている。しかし、いまだに囲碁のことはよくわからない。