もう何度も囲碁入門したはずなのに、気づけば門の外に出てきてしまっている。
呪詛なのだろうか、結界に立ち入ることが許されないのか、それともここは門だけが存在する内も外も無い空間なのか。
いずれにせよ囲碁とは何かを掴めないまま、わたしのステータスは「門外漢」で留まり続けている。
さて、吉田美香さんの囲碁観戦記である。門外漢であっても楽しく読めてしまうのがその魅力だ、ということは過去記事に書いた。
今回は、全文量のうち約50%が余談で埋められるという、他の追従を許さない圧倒的な観戦記を紹介しておこう。
村川のプロ入りは11歳と早く、ふっくらとした頬の丸みが愛らしかった記憶が残る。私は今まで、そして今も粗相を生み出し続けているが、村川に対しても、ある。長手数の大型定石が主流の頃、覚えられずに研究会で悲鳴をあげ、隣りに座っていただけの縁もゆかりもない村川に「FAXで送って」とお願いした。今なら、あの困惑の表情を見逃さない。しかし村川は2日と置かず、幾つかの図に加えて「美香先生へのお勧めの図です」と、とてもシンプルな図も送ってくれた。頼れる村川の観戦記は安心して引き受けられる。
村川棋士の優しさや吉田美香さんとの関わりが十分に伝わってくる。なにより、美香先生が粗相メーカーであると自らが打ち明けている点、見逃せない。
次の観戦記の前段は、まるで小説のような情景描写から始まる。
エントランス、廊下全てにアロマが香り、大きな窓から広大な窓が見え、さらにゆったりする。宿泊客専用ラウンジには多彩な飲み物やプチ菓子が常備され、そこから見る夕日は格別。壁にかかる絵画や調度品など、上質なものに囲まれる心地よさに浸る。
通常の観戦記に描かれるのは盤上の攻防のみ。これほどの文量を割いて、対局会場の雰囲気を表したものには今まで出会ったことがない。
続く後段である。お気づきだろうか。この稿を締めくくるに相応しい、きらびやかな光を放つ一文が存在することを。
対局前夜の食事会では、珍しく井山が「うんうん」と何度もうなずいていた。濃厚なソースのかかる伊勢エビのグリルが相当気に入ったもよう。横にいるはずの立会人、山田九段はその頃、現地に向かう近鉄電車でカマボコをかじっていたそうだ。
それはまさに、どうでもいい情報を80年代の曲紹介風に織り込んでくる芸人・アナログタロウのネタを彷彿とさせる。
「山田九段はその頃、現地に向かう近鉄電車でカマボコをかじっていたそうです!」
それにしても、山田九段とは何者だろうか。対局者かと思いきや、本文には「立会人」と書いてある。
対局と関係ないじゃん…。
豪華な食事会で舌鼓を打つ対局者と吉田美香さん。そして何らかの事情で同席できなかった山田九段。彼らと顔を合わせたのは、おそらく対局の当日だったのだろう。
「伊勢エビのグリル?!いいなぁ…電車のなかでカマボコ食べたくらいですよ」
そのときにこぼした妬みとも思える一言がきっかけとなり、「カマボコをかじっていたそうだ」と、まさかまさか日本経済新聞の紙面で暴露されてしまうとは。
山田九段。あゝ…山田九段よ。
【過去記事】吉田美香さんの観戦記との馴れ初めはこちら。