今週のお題「秋の歌」
▼前回のお話
探偵・東 小路と福田エーコが事務所に入ると、助手の永昌アレイが柿の盛られた籠を携えていう。
「さっき実家から柿が届いたんで、みなさんでどうですか?」
福田エーコは永昌アレイの脇をすり抜け、事務所の隅にある本棚へと向かった。いつものように広辞苑を引き出すと、ソファに腰掛けた。重たそうな日本髪をやや前方に傾けて栞を差していたページから読みはじめる。
「柿…か。」
東 小路は柿を好んで食べない。しかし、凝り性の叔父・永昌 博士からの差し入れとなると話は別だ。相当の自信作に違いない。
「じゃ、いただこうかな。」
アレイは彫りの深い顔をニッコリとほころばせると、籠を抱えて厨房へと消えた。
東 小路は上着をハンガーに掛けて、記帳したての通帳をデスクの抽斗にしまう。チェアにどかっと座ろうとしたが、またしても座面にリモコンが転がっていることに気づき*1、注意深く拾い上げるとデスクに置いた。
ようやく腰掛ける。大きく背伸びをして、先日買ったままにしていた雑誌に手を伸ばした。
雑誌『婦人口論』。芸能人・知識人・セレブリティたちが口汚く罵り合う対談がメインコンテンツである。これを読むまで、罵詈雑言のバリエーションというのはさほど多くない印象があったのだが、出てくるわ出てくるわ。よくぞ咄嗟にここまで思いつくものだと感心させられたり、激昂のあまり口を滑らせ、対談相手のご主人の秘密をバラしてしまう場面にドキドキしたりする。とにかく目が離せない雑誌である。
厨房からはトントンと小気味よく柿を刻む音が聞こえてきた。時を同じくして、さほど遠くないところからお寺の鐘が鳴りはじめた。夕刻を伝えるには少し早い時間のようだが、東 小路は『婦人口論』に夢中である。
永昌アレイが厨房から出てきた。柿はひとくちサイズに切り分けられ、福田エーコと東 小路の手元の皿に盛られた。
「ありがとう。アレイ」
週刊誌から視線を柿にうつすと、それはそれは艷やかな果汁の光り輝くオレンジ色の…いや、単にオレンジ色と呼んでしまうとみずからのボキャブラリィの乏しさが暴かれてしまいそうで、そう呼びたいのにそう呼べない、ああなんと形容しよう、いやもう何も考えないで食べてしまおう。
東 小路はフォークを柿に刺して口に運んだ。シャクシャクとした歯ごたえがなんとも心地よい。そして甘い。種さえなければ…と思う。しかし彼の睨んだとおり、叔父の差し入れた柿は極上のものだった。視線の先で、福田エーコも柿を頬張るところだった。
次の瞬間である。外に鳴り響いている鐘の様子がどうもおかしい。
ゴッゴ…ゴーン ゴ
打数も増えている。これはもはや乱打といっていい。
爆音で鳴り響く鐘の乱打。近所迷惑もはなはだしい。このあたりで鐘楼のある寺といえば、あの悪名高い猥楽寺ではないか。先代のことはナマグサよばわりしていたが、新顔の住職もさてはロクなものではないな。
東 小路は柿を咀嚼しながら、椅子から跳ねあがり上着の袖に腕をとおした。
「もい、アレイ。行くもっ」
「はい、探偵!エーコさんは留守番をお願いします!」
二人はけたたましく事務所から駆け出していった。
福田エーコはソファに座って、フォークに刺した柿をじっと眺めている。
ほどなくして鐘が止んだ。
ゴーン ゴーン ゴーン
と重々しく空気を震わせて、鐘が1回鳴った。
鐘の余韻が引く頃合いに、もう1回鐘が鳴った。
ゴーン ゴーン ゴーン
福田エーコは柿と鐘の関連性から、とある仮説を立てていた。そうして、正岡子規の有名な一句を詠んだ。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
フォークに刺した柿をひとくち囓る。
ゴーン ゴーン ゴーン
やはり鐘の音が響きわたった。
「まぁ…俳句を『歌』とはいわないけどね。」
福田エーコは呟いた。
【来週に続く】
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