イブラヒモってどんな紐?

紐でないことは知っています。撮り下ろしの小ネタ写真と書き物のブログです。通勤通学・レジャーのお供にどうぞ。

【第6話】探偵・東小路と「あったか〜い」

今週のお題「あったか~い」

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▼前回のお話

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探偵・東 小路ひがし こうじは「スーパーたまるか」を出た途端、鬱積したストレスによってその場に崩れ落ちた。夕闇が深まるにつれ、行き場のない心の傷跡は刻々と広がっていくことだろう。

こうなったら気晴らしだ。事務所に戻る前に一杯飲んで帰ることにした。大腿四頭筋に力を込めて立ち上がり、歩きはじめた。事務所の前を通りすぎて、ヤスキヨ電器の角を右に曲がった。まとわりつく豚骨ラーメンの香りを払いのけて、さらに直進した。

東 小路は「割烹 ナイス」の重い引き戸をガラガラと開けた。レジ脇に立っているホール係の若い子と目が合う。

頭に白い三角巾を巻き、えんじ色の作務衣。左の胸元に安全ピンで留められた長い布切れが目を惹く。幅3センチ・長さ10センチほどあって、ひらがなで大きく「はれ」と書かれている。前回来店したときと書体がやや違っているので、どうやら毎回手で書きかえているようだ。

「いらっしゃいませ!お一人様ですか?」

東 小路はそうだと頷いた。

「お一人様だと入りにくいお店だな…と思われませんでしたか?」

東 小路はそうでもないと首を横に振った。

「じゃあ、お一人様に見せかけておいて、実はお二人様でしたっ!なぁんてことは、ございませんか?」

東 小路はございませんと頷いた。

「では、カウンターのお席にご案内しますね!ご新規、まぎれもなく1名様でーす!」

はれは厨房に向かって、透きとおる高い声でこう続けた。

ナーイス!

間髪を入れず、厨房からは太く低い響く声が呼応する。

かっぽーぅ!

声の主は、総料理長野中 洋光のなか ひろみつである。

格子状の衝立ついたてで仕切られた座敷が通路をはさんで両側にある。歩を進めるごとに、間接照明の灯りがちらちらと東 小路の頬を照らした。突き当りに重厚なけやきのカウンターが見える。先客はない。

東 小路は角張った木製の椅子を引き、左端に座る。タイミングを見計らって、はれがおしぼりと湯呑をカウンターに並べた。

おしぼりを手に取ろうとするが、思いのほか熱くて手を引っ込めた。それではと湯呑の方に手を伸ばしたが、これもまた熱い。

「探偵さんは猫舌だと聞いていましたが、手も熱さに弱いんですね」

「なんというんですかね。猫皮膚かな」

はれはクスっと笑って、注文を伺う顔をした。いつものようにビールと言いかけたとき、厨房につながる暖簾のれんくりあがると、昭和の舞台役者を思わせる大きな顔が覗いた。

大きな顔の主は、総料理長野中 洋光のなか ひろみつである。

「おぅ。探偵、いらっしゃい。煮込みがあるんだけど食べるかい?」

「煮込み!それは嬉しいですね。じゃあ、ビールじゃなくて芋焼酎のお湯割りにします。」

東 小路の答えを待たず、彼は厨房へ下がった。はれは伝票にペンを走らせ、オーダーをひととおり復唱すると、また透きとおる高い声でこう〆た。

ナーイス!

低く響く声がふたたびそれに応えた。

かっぽーぅ!

声の主はもちろん、総料理長野中 洋光のなか ひろみつである。

東 小路は程よい温かさに落ち着いたおしぼりの封を切り、湯呑の茶を口に含む。思いがけず長丁場となったあの事案を振り返っていた。

▼あの事案

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聞くところによると、当初1,000字くらいでまとめるはずだったのに、ああなってしまったらしい。突如その思案を打ち消すように、碗を携えた太い腕がカウンターの向こうから伸びてきた。

はい、探偵!

太い腕の主は、総料理長野中 洋光のなか ひろみつ。煮込みの登場である。

「いただきます!」

「どうよ?」

「なん…か…これ、関東風の『モツ煮込み』ですね!うぁ、いいな〜!こっち帰ってきてから、こういうのはなかなか出てこないんで。どれくらい煮込むんですか?」

東 小路はホクホクとした表情で尋ねた。

「煮込んでない」

そう断言したのは、総料理長野中 洋光のなか ひろみつである。

「えっ?」

「モツは茨城県から薔薇豚ローズポークのを取り寄せた。こんにゃくは群馬県産。人参、大根、蓮根は長崎県ジゲモンだ。ただ…煮込んではいない」

「煮込んでない?」

「そう、煮込んでない」

東 小路は唖然としている。箸が止まった。

「じゃじゃ、どうやって…」

そのとき、ガラガラと入り口の引き戸が開く音がした。しばらくして、はれの透きとおる高い声が聞こえた。

ナーイス!

野中はニヤリと口の左端をあげると、右指をパチンと鳴らして、その人差し指を東 小路に向ける。

かっぽーぅ!

一声張り上げて厨房の奥へと引っ込んでいった彼は、そう、総料理長野中 洋光のなか ひろみつである。【来週へ続く】